昔は、死が身近だったからもっと一生懸命生きた。
とのたまう本。
松永安左衛門が、資本主義を信奉したとか、他を搾取して自分を富ました
とか、それは他人の命名する標題に過ぎません。て言ってたとか、
(松永安左衛門「勇気ある自由」)
山本周五郎は、原稿料は読者が自分に本を書いてほしいからくれるもので
あって、私財ではない。と言ってたとか、
偉い人(福田さんのいう大粒な人)の生き方が色々書いてある。
死ぬことが天秤の片側にあって、自分の信念を貫いて生きぬかなくちゃいけ
ないのがつらいから、今の世の中になった訳で、今、誰もが頑張る理由を探
しているところに、死を感じろってのは、ちょっと難しいんじゃないかと思った。
一個面白いと思ったのは、山本周五郎が文章を書くときに酒を飲んだのは、
「神経や意識を少し、矯めないと、書くことができない」からだというところ。
鋭敏過ぎる人は、少し意識をぼーっとさせないと集中できない。ということ。
確かに、ちょっと疲れてきた午後の方が仕事ができたりする。
なるほど。と思った。
先をいそぐことはない、あとからゆっくりついていけ、それでも人の見のこした
ことは多く、やらねばならぬ仕事が一番多い。と宮本常一の父の言葉。
死を恐れる、自分の存在がなくなるのを怖がる、というのは、結局、自分の事
しか考えていないからこそ湧いてくる観念なのですね。
結局、気にかける人、心を配る人の量が、その人の器量なのだと思います。
一喜一憂できる範囲がその人の器量である。
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