演出家・蜷川幸雄が、自分で選んだ人との対談を本にまとめたもの。
各分野の一流の人が、一流だからこそ話せる話をしている(と思う。)
おもしろいなと思った発言を書き留めておきたい。
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日本人の観客にシェイクスピアの世界をわかってもらうもらうためには、
日本人の記憶と交差させなきゃいけないから。あのひな壇のシーンは
ぱっと見て、日本人にとって世界の構造がはっきりわかるわけです。
一番上のお内裏さまとお雛さまが言ってみればロイヤルファミリー、
一番下に掃除している労働者がいるわけですから、階段が「世界」を
説明しているんですね。
(P.20 蜷川幸雄)
「世界が均衡化してる、どこでもマクドナルドがある」って言ったけど、
均衡化というのはアメリカ化じゃないですか。
(P.22 野田秀樹)
役者さんて「なぜ自分なのか」ということを最終的に聞きたがるんですよね。
自分にしかできないことは何なのかを一生懸命考えてるみたいで、
それってぼくの映画にはあまり必要ないんじゃないかって一応話すんだけど、
誰も納得しないのね(笑)。
(P.38 押井守)
演劇とか舞踏とか前衛絵画とか彫刻って何か語るには積み重ねてきた教養が
必要なわけで、みんな何も言えない。ほんとは映画だって変わらないはずなのに、
だけどなぜか映画はみんなが評論家になれる不思議なジャンルで、
お金払った分だけみんななんか言って帰るんですよ。
(P.44 押井守)
つまり何が一番大切かというと、集客力ですよ。実験的なことをやるのにも、
お客を集めないと。それには、よほどの魅力がないといけない。
お客さんの大切なお金と時間を頂戴するんだから。
役者は、うまいか、きれいか、一生懸命か。
これがみんな中途半端な人が多いんです。
(P.110 市川猿之助)
ぼくだって自分が激しい感動を受けたいから、芝居の場にいる。
若い人は生々しい接触を避けているから、激しい感動に耐えられない。
まずは、生々しい接触を拒絶しない人を育てることだと思うんですね。
(P.111 蜷川幸雄)
やたらにアイデンティティを語るのは、トレードマークを作って自己規制してるだけ。
冬枯れの景色で一生稼ぎますとか。
(中略)私、嫌いなんですよ。ニセ芸術家が横行しているのでね。
生物体はすごく複雑でグジグジ変化するじゃないですか。
たとえば毛虫は蝶になるのに、蝶に向かって、「お前、このあいだのサナギはどうした?」
なんてね。
(P.168 若桑みどり)
インターネットでどこかの美術館にいけますとか、絵が見れますとかの話じゃなくて、
圧倒的な現物を見ること、あの感じは絶対見ないとわからない。
本物を見なきゃダメだと言うことではなくて、その大きさや量に自分が対面することが
大事じゃないかと思うんです。
(P.251 村上龍)
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